幸せということ

最近は国の幸せ度ランキングみたいなのがよく話題にされます。

そこで気になるのが”この国は日本よりずっと貧しいのに幸せと感じている”といった論調。

それを単純に幸せなんて気のもちようと片付けてはいけないと思います。

ラテン系の人はとにかく明るく困難を乗り越えるものだというのは

日本人の幻想でしょう。

むしろ明るければ明るいほど影が濃くなるような

ラテンには独特の闇が横たわっているような気がします。

それでも、しいていうなら

人生の悲しみや苦しみをみつめながら、それでも踊る。歌う。笑う。

その瞬間に、いろいろなことをしばらく保留にする能力が高いのではないかと思います。

そしてまた、保留にしていたことの為に泣く。

でも、そこで重要なのは愛するひとたちと一緒にということ。

結婚式でよく2人なら喜びは2倍に、悲しみは半分にと言われますが、

それは事実。

お互いにぎゅっと抱き合うだけで、そのぬくもり分の悲しみが蒸発していくような気がします。

昔卒論の小説で恋愛のイメージは背中がくっついた双子のイメージだと書きました。

お互いの体温は感じるけれどけして抱き合えない・・。

あのころの私にはそれがひどくせつなく思えたけれど、

時を経て、それでいいのだと思える自分がいます。

こうしてブログでどんなに言葉を並べても

やっぱり何かが抜け落ちて

そしてその何かが本当は一番大切なことだったりして。

だからこそ足りない何かと何かの間に横たわるものを

とかす体温が必要なんじゃないでしょうか?

愛と体温は本能的な部分でつながっているような気がします。

神様が私たちに体温を与えてくださったのは

きっとそういうことなのです。